2015年01月26日

自己責任論とは

 今回ISIS国で人質になった湯川春菜氏と後藤健二氏。この両者が捕まったのは自業自得であり死ぬのはやむを得ないという意見が今のネット世論にて論じられているため自己責任論とは何かについて論じたい。
 元々自己責任論が発祥したのは2004年に起きた香田証生氏が始まりであろう。2004年はインターネット社会の黎明期であり2ちゃんねるという大型掲示板が活発になった時期とも重なり、テロリストであるアルカイダにとらわれ政治的プロバガンダによって首を着られるという最悪の自体を招いた。だが、この時の世論(インターネット界隈であり実際に統計をとったわけではない要検証)では外務省が危険区域であると公表していた場所に、業務でもなく一般人が立ち入ったことで結果として拉致をされ殺された上に、政府に迷惑をかけたとして本人が悪いのではないかという自己責任という論が活発に議論された。
 この場合の自己責任の理論としては、他者に強制されることなく自己の意思で危険と称される地域に赴き、結果として殺害という事態を招いたことを自己責任であると論じたと思われる。確かに自分の意思で行った行為は全て自分で責任を取る必要があるため、自己責任であるというロジカルは否定はできない。ただ、この場合の自己の決断にどこまでのリスクを承知していたのかは本人の自己で判断がつくものであろうものなのか一塊の疑問が生じる。○○をすれば必ず殺される。そういう結果が生じれば人は恐らく○○をするという行為を避けるであろう。
 だが、この結果がどのようなものか想像ができないため○○という選択を選んでしまうのではないかと私は考える。論理の飛躍になるが、ドイツの社会学者ウルリッヒ=ベックはリスク社会という著書の中で、科学技術や産業経済の発展に伴って生み出されるリスクも飛躍的に顕著なものとなっていくと主張した。
 日々のエネルギーを得るために我々はリスクを背負わざるを得なくなったのだ。この場合、エネルギー問題において重大な損失を受けても全てそれを選んだ我々が悪く自己責任だと切り捨てることはできるのだろうか。また、必ずしも安全であると説明を受けてそれを受諾した後に起きた現象は全て自己責任であり、それを選択した本人が悪いと言い張るのは正しいのであろうか。この場合悪は嘘の説明を行い、それを選択させたものではなかろうか。
 いささか論理が飛躍したが、自己責任でありそれを選択した本人が悪いという論調がまかり通れば本質的に悪というものを見抜けず思考停止という名の思考の放棄につながらないかと私は考えた。

(この間仕事が終わってムラムラしたからえっちなお店に入ったらパネルマジックに騙されとんでもないブスが出てきてブチ切れたけどこれも自己責任なのかなと思った僕の感想です)
posted by ひろ氏 at 23:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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